匠の傘専門店 みや竹 > 心斎橋 みや竹について > 会社概要&沿革
社名 | 合名会社みや竹 |
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所在地 | 〒557-0013 大阪府大阪市西成区天神ノ森1-19-11 ※実店舗販売はいたしておりません。ご用命はネットより御願いします。 |
TEL | 06-6656-1705 |
FAX | 06-6656-1704 |
代表者 | 宮武和広 |
創業 | 明治29年(1896年) |
事業内容 | 傘販売 |
営業時間 | 月曜日~金曜日 9:30~20:00 ※年末年始を除く ※臨時休業日あり |
初代 宮武次三郎が渡米視察という冒険の旅より帰国後に、心斎橋筋商店街に「ミツワ」の名前にて輸入雑貨店(インポート)として創業。
和三郎(二代目)の時にモボ・モガの風潮の中で女性達に流行のファッションアイテムであった洋傘と肩掛け(ショール)に特化した専門店となる。
和三郎の提案で「宮」をひらがなの「みや」に、固いイメージの「武」を風流な「竹」にして「みや竹」と命名。
店主のたおやかな筆致の書がそのまま店のロゴとなり、看板や包装紙に採用されてブランドイメージを確立していく。
昭和20年の大阪大空襲で店舗は消失。
戦後は小間物を売って商いを再開。昭和22年に地主に声掛けをいただき御厚意にて心斎橋で店舗を再興。
以降、和三郎(二代目)の熱意と不断の努力で傘専門店として甦る。
高度成長期と心斎橋筋の盛況がリンクして、傘とともにミナミを闊歩する方の和装需要も取り込んでショールも飛ぶように売れ、みや竹は黄金期を迎える。また昭和50年には三代目女将 須恵子の主導で店舗リニューアル。
当時の店舗設計誌に掲載される出来栄えで 更に心ブラの顧客の心をとりこむことに成功。
昭和60年に二度目のリニューアル。
四代目 和広のアイデアによる高い天井を駆使した空間的な展示方法は業界の中でも「一度みや竹さんを見学してこい」と有名になる。バブル景気もあいまってこの頃までが繁昌期。
大阪花の博覧会(平成2年)の景気を最後に店の売上は下降する。バブルの崩壊、阪神大震災、そしてカテゴリーキラー的に登場した500円傘、それによる主要会社の倒産。傘専門店をとりまく環境は年々厳しさを増していく。
平成8年四代目 和広が手探りでインターネットでの商をスタート。睡眠時間3時間でWindows95とHTML(ホームページを作成するための記述言語)を独学でマスター。
kasaya.com のドメインをアメリカで取得し、日本のサーバ(アドミラルシステム)で電子商店「雨降って傘屋どっと混む(kasaya.com)」を立ち上げる。
しばらくの併用期間を経て、翌年1月に実店舗は閉鎖。100年の歴史に終止符。以降はインターネットショップ専業となる。
路面店での品ぞろえをアーカイブした形態はお洒落好きに好評を博するも、平成11年末に掲載ブランド商品のことで総輸入代理店(マスターライセンシー)よりクレーム。ブランド紹介販売をすべて差し止められる。苦慮した末に品ぞろえの総見直しを決意。日本各地の傘職人を訪ね歩き取材をして「日本の職人傘」情報や商品を結集したポータルサイトとしてリスタート。これが奏功し、NHKの目にとまり「ハイビジョンギャラリーこの素晴らしきものたち~傘」の主要ナビゲーターとして出演。
以降、日本の職人傘に脚光があたるようになってくる。
傘の販売と並行して電子商店の健全な育成のためにサイト内で運営ノウハウを公開。さらに初心者も参加できる掲示板(戦略会議室)を運営。その努力が実り日経BP社よりノウハウ本の執筆を依頼され、平成12年に「電子商店繁盛の鉄則」を出版。
これを契機に、全国各地を電子商店運営ノウハウと老舗再興の講演で巡るようになり、これも店主 和広の大切なライフワークとなる。(足掛け14年、平成24年に会津若松での講演にて全都道府県行脚を達成)
男性用日傘の普及を願って平成11年に「男も日傘をさそう会」創設。ネットを中心に男の日傘の有用性を粘り強く発信。
メディア対応やSNSでの情報発信も精力的にこなし、その成果もあって平成23年 環境省が男性日傘を推奨、平成25年「日傘男子」流行語大賞ノミネート、百貨店も売り場拡張、傘業界全体の「男の日傘」マーケットを押しあげることに貢献。
心斎橋みや竹では一番の売れ筋商品となる。
「男も日傘をさそう会」フェイスブックはこちら https://www.facebook.com/otokohigasa/
心斎橋の実店舗閉店まで店頭に飾られていた看板。樹齢幾百年の見事なその板に刻まれたたおやかな字は、俳人飯田蛇笏のものです。飯田蛇笏に師事し、老舗傘屋の灯を守る傍ら、宮武寒々(かんかん)という名で俳人として活躍したのが二代目 和三郎。
重厚温藉な人柄により有徳の俳人として没後も周辺の人々に慕われ続けています。
凛とした抒情を感じさせるまさに老舗の看板といえるもの。今は山梨県立文学館に所蔵されています。
~宮武寒々の句~
霜林(そうりん)の雉(きじ)日月と遊びけり
秋山も大河も己が名を知らず
櫛忘れし汽車雪原を細く去る
パンの穴のぞけば地球裏雪ふれり