「挫折からの出発」物語編 Page4
決してお客様のお品選びのクォリティーは落ちてはおられない。
目利きのない新規商品で勝負できるほど甘い街ではない。
心斎橋が凋落したというのは、これは売る側の意識の低下ではなかったのか??
そう気づいたのです。
心斎橋を心斎橋たらしめてきたのは、そこに集う商人のやわらかい物腰の奥に潜む、厳しく鋭い選品眼力でした。
再び、私は
唯一絶対の自信がある傘のみにこだわっていく店造りを再開しました。
たとえ、それが破滅の序章になろうとも、自分が心斎橋商人を貫き通す唯一の道
であると考えたからです。
心斎橋は明治、大正、昭和と常にお客様が自らをアピールするステージでありました。
平成の世も最新のファッションを購入すれば、まずそこで皆に見てもらう目的で着て闊歩する。
購買率が低下しても、昔も今もその意識は不変のはず
わが愛する心斎橋が生き延びるために(特に青年部会員へ)辛口の提案です。
井筒屋 岡本さん、銀座屋 橘さん、オオアミカメラ 大阿見君はじめ
若くて行動力のある方々に僕のこのメッセージが伝われば幸いです。
● お客様のステージとなりうる街造り、
こちらが見せるのではなく、お客様が魅せる街に!!
これが再生のキーポイントだと思います
● 現状の無粋で子供だましな抽選つき売り出し方法を廃止もしくはアップグレードして
広告宣伝費を顧客獲得、販促に有効利用
●ホームページ作成の現状のような外部発注をやめ、
内部でWEB MASTERを育成すべし。でなければHP運営の
意味や再生効果なし
●私が身を呈して行ってきた、キャッチセールス排除運動の意志を継承してくれる
熱血会員をつのること。(私のように)南署防犯課との連携プレーのできる人を探すこと。
けっして彼らの巣にしてはなりませぬ。完全排除に後一歩のところで役をおりた、
それだけが心のこりです
●組合員どうしの意識統一をはかる(これは至難の技だろうけど)
●社長クラスの懇親会は振興再生には無意味、現場にたつ店長の会議を頻繁におこなう!
できれば、様々なパネリストを迎えて実行する
以上です。私は心斎橋を離れた今も心斎橋みや竹を名乗っていきます。
批判はあるかもしれませんが、それは私が心斎橋ブランドを掲げるにふさわしい
商売を熱いハートで展開していける自信があるからです!
神戸元町○○○、東京銀座○○○、企業と土地のイメージが一体化されたものが案外沢山ありますよね。
私は外からでも、この心斎橋イメージを高めることが可能であると信じています。
心斎橋で100年商いをさせていただいたことは、大きな財産です。
のこった皆様も是非頑張って欲しい!
ファッションステージ心斎橋は不滅なり