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Shinsaibashi Miyataka Survival Story

「挫折からの出発」物語編 Page3


「ボンボン」からの脱皮


大阪人はお商売人のご子息を○○はんの「ボンボン」と呼びます。持ち上げてるかのようにみえる表現ですが、 これは多分に軽蔑の意もはらんでいます。親からの代の財や名声に保護されてぬくぬくと、大きな顔をして生きている。 しかし、親の七光りが終わったら、わてはあんたなんかに負けへんでぇ。あんさんの足元すくいまっせ。 そういう意味をこの「ボンボン」というキーワードは持ちあわせているのです。


たまたま大好きな音楽に於いてささやかな成功を収め、9年もの歳月、音楽活動に打ち込んできた私は、 自分ではそう呼ばれることに、非常な抵抗がありましたが、実のところ正真正銘の「ボンボン」だったんでしょう。 心斎橋の老舗のご子息も、みな多かれ少なかれ何かの力によって保護されているといった意味で「ボンボン」です。


心斎橋筋商店街の繁栄は、あの「花博」の時をピークに急激に落ち込んできました。バブル破綻のせいだけではありません。 周囲の加速的な発展とともに、顧客の絶対数が減ってきたのです。 要約すれば人通りは多いけれども、売り上げにつながらない街。 それに個々の店が独自のコンセプトで集合して伝統の妙味を醸し出しているがゆえに 、商店街全体の意志統一という面では逆に非常にもろかったのです。


後続の地下街やショッピングモールが次々に 新しい趣向で顧客獲得にのりだす反面、わが商店街だけは、 なんら抜本的な再生策をとれず、また広告代理店の素晴らしいアイデアも全商店のコンセンサスが調整できず、 計画倒れに終始していきました


そんな商店街の衰退と我がバンドの終焉がかさなり、うちのめされていたところに、更にショックなことがありました。


ある日、顧問の税理士の先生に呼び出されました。このかたは家内のおじで、元南税務署所長も務めた人です。開口一番
「宮武君、このままでは、もう店持たへんでぇ」
正直、何よりもこの言葉は響きました。はじめは信じられませんでしたが、具体的なシュミレーションをしてもらううちに だんだん現実のものとして認識されてきました。将棋でいうと「詰み」です! どこにどんな駒を打とうとも敗北です


ショックに追い討ちをかけたのは、前年の確定申告書類におされた印鑑でした。
「宮武君、ここに会計事務所の印鑑しかおしてないなんておかしいよ。 ちゃんと、税理士の印鑑が押されるはずだ。おかしいな」 調べていただいたところ、なんと前任税理士が資格を持たず、税理士会にも未登録の会計事務所であったことが判明したのです。 どうやら、 何回か危機を脱却するチャンスはあったようですが、ことごとく見落とされてきたらしいです。


もちろん、経営努力は我々の責任ですが、税務的なことは最高のパートナーであるはずの税理士さんに ご助言いただかないと、こちらでは判断つきかねるものです。皆さんも是非注意してみてください。 重要提出書類に事務所印しか押していないのは「偽税理士」であることを疑ってみられるべきでしょう


我が店の行く先は見えました。しかし、具体的にその後、どう身をふるべきか、まったく決心もなにもつかず、 ただ時だけが過ぎていきました。 先生のシュミレーションは見事なまでにあたっていました。 商品は回転し、お客様には喜ばれる店作りができているのに、何も残らない、残らないどころか借金を積み重ねる為だけに 身を粉にして働く。もう「末期的」なところまで、我が店の経営状態はきていました。


とはいっても、あいかわらず私も「ボンボン」であったんでしょう。心の片隅に「誰かが守ってくれるさ、 どうにかなるさ」という気持ちが棲み付いていたのは認めます。しかし、その「ボンボン」心にも、いよいよ 強制的に訣別せねばならぬ時がせまってきたのです


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