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kasaya.com
週刊ダイヤモンド 1999.9.11
退路を断ってネットに参入
老舗をつぶした傘屋の意地

文:深澤 献

 大阪の繁華街・心斎橋に店舗を構えていた老舗の傘専門店「心斎橋み や竹」が100年の歴史に幕を閉じたのは1997年1月のことだった。  傘といえば百貨店などの一角で売られているのが普通。傘の専門店と いうのは、全国でも数少ない。傘だけでは売れるとき売れないときの差 が激しく、安定した商売を維持できないからだ。加えてこの不況である。 みや竹の業績は低迷していた。

 「心斎橋の店では、月商1500万が損益分岐点だった。だが、実際は 1000万円がせいぜい。毎月のように銀行から借入れを行なう状況だった」 と、みや竹の四代目店主・宮竹和広氏は振り返る。そして96年の後半に は、銀行の融資がストップしてしまった。もはや、限界。宮武氏は店を 処分することを決めた。  だが商売替えをしようにも、宮武氏には「傘の知識」しかない。そこ で思いついたのがネット販売だった。

 といっても、宮武氏は初めてパソコンに触ったのが96年3月という超 初心者。だが、家族の生活がかかっているのだから、真剣にならざるを えない。「大学受験のときでさえ、こんなに勉強しなかった」と宮武氏。 そして、わずか7ヶ月後には、自前でホームページを作り上げた。ネット 上での新店名は「カサヤ・ドット・コム」。「雨降って傘屋どっと混む」 をキャッチフレーズに96年10月、大阪市西成区の自宅で新規一転のスタ ートを遂げたのである。  ところが、“新装開店”してはみたものの、12月末までの3ヶ月で、 売上げはわずかに18万円。そのうち10万5千円は、友人たちがご祝儀で 買ってくれた分だから、実際は7万5千円だ。年が明け、心斎橋の店を 閉めてネット専業になってからも、なかなか売上げは伸びない。店舗売 却の残金(ほとんどが借金返済と税金で消えたが)と、貯蓄を取り崩し てなんとかしのいだ。


▲一日のほとんどをパソコン前で過ごす
 100年の歴史を誇る老舗といえども、ネット上では新参者。消費者の 信頼はすぐには得られない。だが、「いいうわさも悪いうわさも、ネッ トの場合、”井戸端会議”より100倍早い」と宮武氏は言う。  購入者には必ず電子メールで礼状を書く。商品紹介や傘にまつわる読 み物など、ホームページにも工夫を凝らした。傘に関する蘊蓄なら、カ サヤ・ドット・コムの情報量を上回るサイトはどこを探してもないだろ う。また、自分の写真や略歴はもちろん、家族構成までホームページ上 にさらけ出す。「サイバーショップだからこそ、人の気配を感じさせる 必要がある」との信念からだ。顧客とのメール対応やホームページの更 新作業などで、とにかく時間と手間はかかる。実際の店舗を切り盛りし ていたころより、よほど忙しい。

 だが、こうした努力が実を結び、少ないながらも売上げは確実に右肩 上がりで推移。そして、ここ数ヶ月でようやく月商が300万を超えるよう になった。ネット専業になってからは在庫負担がなくなり、地代や人件 費など経費は格段に下がっている。損益分岐点は月330万円だから、3年 にしてやっと黒字基調に入り始めたわけだ。
「いまの目標は、心斎橋店の閉店時の月商だった1000万円。大阪の一等 地で売っていた額をネット上で達成して初めて、“老舗を蘇らせた”と 胸を張れる」と宮武氏は言う。同じ月商1000万円でもかつては赤字。だ が、今度は利益構造が違う。  傘だけという狭くて深い商品構成では、どんな繁華街に店を構えても 需要には限りがある。ところが、ネットを利用して日本全国に市場を広 げた途端、新たな可能性が広がる。 「21世紀、中小専門店はネットの中でこそ生き残っていける」  3年間の苦闘の末、宮武氏はそんな自信にたどりつきつつある。


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