History of 心斎橋みや竹

今から104年前、 心斎橋みや竹初代 宮武治三郎はなんと荒波のりこえ単身渡米。 大いに見聞を広めて帰国後、心斎橋に舶来雑貨店を開店。
果たして今 4代目の私がその米国に 心斎橋みや竹WWW店
kasaya.comを設立。 どちらもまさに画期的な創業姿勢




こない書いたらごっつかっこええやんか
(自分で言うてどうするんやぁ、あんさんナルシストでっか)
その気はあるかもしれん、お気にさわればごめんちゃい

道頓堀、長堀と東西の横堀に囲まれたとこは島之内いいましてな、 芝居帰りのようけの人で賑わったええ時代でした。
それから大正の薫り高きモボ・モガ達(モダンボーイ、モダンガールの略でっせ) のはいからファッションもよろしな。 傘が大流行し、なんや心斎橋だけでも 沢山の傘屋があったそうやで




ところがええ時代ばかりやおまへんのが世の常
(どないなったんでっか)



治三郎さんの憧れの国からある日 戦闘機が飛んできましてな、 なんや光って 派手な音した思たらまあー、 心斎橋界隈はきれいに焼け野原ですわ。





けど二代目和三郎さんは腹巻きの中に傘を隠して、 もうすってんで(少しで)死にそうな修羅場をボロチャリ(古自転車)で 走り抜けてきゃはった。
(ヘエ たいした商魂ですな。あんたの熱血さは隔世遺伝かいな)


二代目和三郎さんは宮武寒々<カンカン>ちゅう名前でな、 かの飯田蛇笏(だこつ)先生の直弟子として 俳人としても名を馳せた偉いお人やってんで
kasaya.comSQUARE 寒々ホームページ(只今準備中)があるから お買い物の帰りにでもお寄りください

わたしの好きな寒々の句

秋山も大河も己が名をしらず

櫛忘れし汽車雪原を細く去る

溺死あり厳かに動く鰯雲

一句めは悠久の自然を、二句めは至上の旅心を
そして最後の句は師匠の息子さんの飯田龍太先生が「霊的に表現されんとする俳句」 ということで絶賛しゃはった句らしい

(なんやわかったようなわからんような)

次はいよいよ三代目の女将 宮武須恵子の登場
この人のムチャ陽気なキャラクターが心斎橋みや竹繁盛の バックボーンである事は間違いおまへんな
ただ本人はまだ看板娘だと思い込んでいるふしがおます
まだまだ現役バリバリやん

そして私、四代目宮武和広
人が歓ぶのを見て自分も嬉しくなる、協調性と気配りと完璧主義?
そんな純正A型蠍座パワーでページ運営やって行きますでェ
皆さんに喜んでいただける傘を一杯ひっさげて 今日もWEB商人は全国を駆け巡っとりまんねんでー
激励のレターまっとるでぇ

我田引水ながらkasaya.comSQUAREには、 私のミュージシャンとしてのプライベートページ  Mr.SIRIUSホームページ もあって、何やわけのわかったような わからんような事書いてます。 興味のある方は是非お寄りください



ともかく心斎橋みや竹はこの1世紀、 傘とショール生粋の専門店 として大阪の人々に愛されてまいりました。
今後は全国の皆様にも真心でお届けしてまいりたい と思います。
ブックマーク よろしくね




History of 心斎橋みや竹でした、おそまつ!